数年前、あるご法事に行った時のことです。
その家は今から十六年前に
子供さんを事故で亡くされました。 そのお母さんが私に
「息子の死は南無阿弥陀仏に出遇うためでした」
と涙ながらにおっしゃられたことが
いまだに忘れることができません。
もちろんお母さんは決して息子さんの死が
悲しくなくなったというわけではないのです。
ずっと苦しんできたことが
<いのちとは何かを尋ねる歩み> であった、
本当に大切なことを知るご縁であったというのでしょう。
できれば苦しい悲しいことに出遇いたくはありませんが、
しかし<本当の眼>が開くのはその時ではないでしょうか。