私は枕経の場でご遺族の方に
お願いしていることがあります。 それはご遺体に自らの手で 触れていただきたいということです。 というのは、いのちを尽し切られた厳粛な事実を 身体全体で感じることが 大切だと考えるからです。 「いのちの相(すがた)」は 決して若くて健康な時だけではありません。 老病死という身体が崩れていく時も いのちの相なのです。 たとえどんな相になろうとも、 そのいのち全体を通して 「生きる意味」を問い尋ねる道が 仏教なのでしょう。 ある意味で仏教が死の縁を大切な儀式として行っているのは、 いのちを根本課題とするからなのです。 |
ー野辺の送りー 能邨勇樹 |