夫婦
 戦後社会の大きな変化のなかに

核家族化と高齢化社会の問題がありますが、

いずれも夫婦のありように密接な関係があります。

核家族化はいうまでもなく老後を夫婦単位で

生きていくという方向を示すものでありましょう。

一方、高齢化の問題は、人生の最晩年を

孤独に耐えて生きなければならないという

現実を惹(ひ)き起こしています。

たとえば、長寿国日本では、男性の平均寿命が七十六歳、

女性の平均寿命が八十三歳ですからその差は七歳となります。

そして、夫婦間の年齢格差は総じて

夫が平均して妻より二、三歳くらいは年長でしょう。

としますと、数字の上では妻のほうが夫より十歳ちかく

長く生きる可能性が出てきます。

 しかし、現実は統計通りではありませんから、最愛の妻を失って

わが身の孤独と悲哀に沈む男性も決して少なくありません。

 『夜と霧』の著書、ヴィクトル・E・フランクル教授が

語っておられたことですが、ある老人が最愛の妻に先立たれて、

悲哀と絶望のふちに突き落とされ、喜怒哀楽を示すこともなく

魂の抜けたような日々を過ごしていました。

 ところが、その老人が機会あってフランクル教授に会うことになり、

教授はその老人の立場を心配して次のように言いました。
 
「あなたが、生きる望みも失われるほど

悲しまれる気持ちはよく分かります。

でも、もし立場が逆で夫人が後に残られたら、

やはりあなたと同様にどれほど悲嘆されることでしょうか。

そのことを思いますと、あなたは最愛の夫人に

つらい思いを体験させることがなかったのですよ」

と語り終えると、その老人は落ち着いた表情を取り戻し、

納得した顔つきで黙って去って行ったということです。

よく、夫婦は一心同体といわれますが、

お互いのいたわりあいのその底には、

でも、どうしても自分だけはつらい目に合いたくない

という思いが抜けないのでしょう。

世の男性のほとんどが一日でもよいから

妻より先にこの世を終えたいと願うのもその証しかもしれません。

フランクル教授の話に出てくる老人は、

そのようなわがまま一杯の自分に気づかされたのでありましょう。
 
妻に先立たれたことは、嘆き悲しんでも、

なおあまりある人生の悲哀であったが、しかし、そのことを通して

自らの都合のみに立っていた姿に気づかされ、

それが光となって逆境を生きることに大きな意味を見いだし、

孤独に耐えて生きる意欲につながっていったのだと思います。 


能邨英士
産経新聞−語る−欄<1995(H7)年4月18日掲載>