若者へ
 

若い人たちの重要な課題は、

何といっても「成人」するということでありましょう。


 「成人」とは、「人と成る」ということであって、

それは年齢が満二十歳になって「成人式」を迎える

ということだけにはとどまらないはずであります。


 「人と成る」ということは、自らの人生を主体的に生きる、


そのような「人と成る」という意味があるのだと思います。 


もうずいぶん前のことでありますが、

知り合いの婦人が突然訪ねてこられて、


深刻な悩みを打ち明けられました。


 「実は昨日、娘と進学のことで親子ゲンカをしてしまいました。


娘は前から家の経済事情で、

高校を卒業したら就職することなっていたのです。


ところが親しい友人に誘われたこともあって、


どうしても短期大学に進学したいということになり、


話し合っているうちにあまりにも聞き分けかなくせかむので、


私はつい『いったいお前はだれのお陰(かげ)で

ここまで大きくなれたのか』と、


娘のわがままをなじってしまったのです。


すると娘は『私は生んでほしいと頼んだ覚えは一度もない。


親が勝手に生んだのだから、親が育てるのは当たり前でしょ』


と言い返してきたのです。

それを聞いて私は絶句しました。

その夜は、くやしいやら情けないやらで

ほとんど眠れませんでした」ということでした。


 しばらくして私が、「娘さんは親が勝手に生んだというが、


本当に親が勝手に子を生めるなら、

そんな親に逆らう親不孝な子を生まずに、

もっと素直な子を生むはずだがなあ−」と言いましたら、

そのお母さんは我(わ)か意を得たりという顔で


「そうです。その通りです。さっそく娘に言って聞かせます」


と言われますので、私は「それは駄目(だめ)です。


それではどこまでいっても娘さんの気持ちを傷つけるだけです。


それよりも家の暮らしのことを何もかも打ち明けて

相談したらどうですか」と申したことです。


結果、その娘さんは自分の非を詫(わ)びて、

十分に納得して自ら進学を断念されたそうです。


我々(われわれ)はとかく自分に都合のよいことは、


自分の手柄にし、都合の悪いことは

全(すべ)て他人の責任にしてしまいます。


そうではなくて自分が立たされている現実の中で、


全ての責任を引き受けて自分の生きる道を決定する。


すると不思議にも、どんな人生を生きようとその人生全体を


私の人生とすることができるのであります。


その娘さんもお母さんもともどもにこの経験を通して


「成人」への出発点に立たれたのでありましょう。


能邨英士  
<産経新聞・語る欄・1995(H7)年5月23日掲載>