病
人か避けて通ることのできないものに病気があります。


病気知らずで健康自慢の人にも

病気にならないという保証はありません。


また、肉体的には健康であっても、

心が病んでいる場合もあります。


 身の病にしても心の病にしても、

本人にその自覚がないうちに進行し

致命的となることもあります。


 幼稚園の園長をしておられた鈴木章子さんは、


ある朝、園児が「えんちょうせんせい」

と勢いよく胸に飛び込んできたとき、


左乳に突き刺すような激痛が走って、

それが癌(がん)との出合いとなったそうです。


 乳癌の手術の経過は良好でしたが、三年目に左肺に転移、


左肺上葉(じょうよう)摘出手術も無事終わったものの、


翌年、さらに左右両肺に転々移、

最善の医術の力も及ばず、 ご主人と四人の子を残されて

四十七歳の生涯を終えられました。


 はじめから本人の希望もあって、

鈴木さんは医師から癌の告知を受けました。

強い衝撃の中で、

「私、人間だったんだ。私、生きていたんだ」


という想いが胸にこみ上げ、自らの死に直面したことから、

人生が見直され、 限られたいのちを

本当に生きるという営みが始まりました。


だが、すんなりといったというわけではありません。


 手記である『癌告知のあとで』によりますと、


「<心の狐児>的覚束(おぼつか)なさで

<お先まっくら>といった心境」

にもなられた、そんな時、お父さんの

「生死(しょうじ)はお任せ以外にはないのだ。

人知の及ばぬことはすべてお任せしなさい」 


「自分でどうにもならぬことをどうにかしようとすることは、


あなたの傲慢(ごうまん)である。


ただ事実を大切にひきうけて任せなさい」

との手紙の言葉にハッとして、

初めて「代ってもらうことのできない、

誰にも責任を転塚(てんか)できない自分の人生である」


ことに気づかされたということです。

 予期せぬ癌の訪れを「章子、目覚めよ!何をしている」と


「み仏様が私のほっペたにビンタをくれた音」だと

受け止められ、 癌になってもならなくても、

すでに「死の縁無量」の現実の中に

生かされていたことを知らされたのです。


そして、今生きていることそのことが不可思議というほかない、


なんでもない一日一日の、いのちの

はかり知れない尊さに気づかされたのです。

 病を意に添わぬ敵として闘う闘病ではなく、

その事実を受け取って癌を拝んで暮らすまでに成(な)られ、


また、死が消滅ではなく「いのちのふるさとに帰る」

ことであるとの安らぎを発見し、

与えられたいのちに謝念をこめて

完全燃焼された鈴木さんの生き様に

深い感銘を覚えるのであります。


能邨英士
<産経新聞・語る・1995(H7)年6月6日掲載>