人か避けて通ることのできないものに病気があります。
病気にならないという保証はありません。
心が病んでいる場合もあります。
本人にその自覚がないうちに進行し 致命的となることもあります。
と勢いよく胸に飛び込んできたとき、
それが癌(がん)との出合いとなったそうです。
最善の医術の力も及ばず、 ご主人と四人の子を残されて 四十七歳の生涯を終えられました。
鈴木さんは医師から癌の告知を受けました。 強い衝撃の中で、 「私、人間だったんだ。私、生きていたんだ」
人生が見直され、 限られたいのちを 本当に生きるという営みが始まりました。
<お先まっくら>といった心境」 にもなられた、そんな時、お父さんの 「生死(しょうじ)はお任せ以外にはないのだ。 人知の及ばぬことはすべてお任せしなさい」
との手紙の言葉にハッとして、 初めて「代ってもらうことのできない、 誰にも責任を転塚(てんか)できない自分の人生である」
予期せぬ癌の訪れを「章子、目覚めよ!何をしている」と
受け止められ、 癌になってもならなくても、 すでに「死の縁無量」の現実の中に 生かされていたことを知らされたのです。
はかり知れない尊さに気づかされたのです。 病を意に添わぬ敵として闘う闘病ではなく、 その事実を受け取って癌を拝んで暮らすまでに成(な)られ、
ことであるとの安らぎを発見し、 与えられたいのちに謝念をこめて 完全燃焼された鈴木さんの生き様に 深い感銘を覚えるのであります。 |
能邨英士 <産経新聞・語る・1995(H7)年6月6日掲載> |