この世に生を享(う)けた以上、 人は挫折の経験を 経ずには生きていけないものであると思います。 挫折は、人生にかける我(わ)が思いや努力が 思い通りにならない現実に出合って、 くじけ、破れ、傷つくことですが、 大切なことは、それによって人生そのものが 駄目(だめ)になることではなく、 むしろ人生は挫折の経験を通して、世界が開かれ、 より成熟した人間へと育てられていく ご縁だといえましょう。
早く夫に死別された松田トクさんは、 苦労して一人息子を育てあげ、 息子は結婚して孫も生まれ、 苦労の甲斐(かい)があったと思う間もなく、 子息が過労で倒れ半身不随になって寝込んでしまわれた。 半年の後にはお嫁さんも同じように寝込まれ、 松田さんは息子夫婦の下の世話から 小さな孫の面倒まで見なければならなくなりました。 やっと楽隠居ができると思った矢先だっただけに ショックが深く、 愚痴ばかりが出てどうにもならず、 日ごろから仏法を聞いていた藤原鉄乗をたずねました。
こんな目に合わにゃならんのや」と、 胸に溜まった思いを畳の目を つめでかきむしるほどに必死で訴えました。
言いたいことはそれだけかと確かめられた上で、
と一言こたえられました。
ムカッとして、 そんなこと聞かなくてもわかっていると 腹を立てて帰ってしまいました。
悶々(もんもん)とした日を送るうちに
初めて鉄乗師の言葉が胸に落ちました。
ことを受け止めて生きるほかない世界。
絵の通りにならなかっただけ のことと気づかされたのです。
力も湧(わ)いて孫を背負い、
歩くようになったということです。 よい結果ばかりを求める人間の
すでに引き受けているという事実があります。
という先覚の言葉がありますが、
頂いているのではないでしょうか。 |
能邨英士 産経新聞・語る欄<1995(H7)年6月13日掲載> |