だいぶ以前のことですが、
ある党の総裁選で有力二氏が争ったことがあります。
自信をもっていたA氏は記者のインタビューに
「人事を尽くして天命を待つ心境です」と泰然と答えたのですが、
結果は敗れて、記者に「天の声も時々おかしな声がある」と答えたのが印象的でした。
実際、人事を尽くすといっても
結果の好・不都合を問わないということは容易ではありません。
釋尊(しゃくそん)は、人間が気を配り、心を使って働きながらも「安き時」がなく
「心身倶(とも)に労(つか)れて坐起安からず」と悲しまれていますが、
本当の安らぎを見いだしかねている現代人の姿を言い当てているようです。
この安らぎのなさは、過去のことが憎やまれたり、
将来のことが心配されることに起因しています。
清沢満之(まんし)先生(1863−1903)の晩年の逸話ですが、
長男が5、6歳の時、夫人が、この子が15、6歳になれば、
東京に出して勉学をさせたい。
そのため学資を貯(た)めたいと言ったところ、
先生は「この子が無事に成長するかどうかも、賢愚もまだ分からない。
学校へ行けるようになるなら、そのとき学資の路は必ず開ける。
10年も後のことを今からそのように苦慮することはない」と
諭されたそうですが、
その長男は10歳で病死してしまいました。
取り越し苦労か無益であり、人生は恃む(たの)むことができないということを
この事実は示しています。
清沢先生の、現在に安住するとの信念は、
悲惨な生活の現実から獲得されたものでした。
教団改革運動の失敗、教団からの除名(後に解除)、
二人の子どもと夫人の死等、しかも晩年の10年は
肺病のため痰壺(たんつぼ)を離されたことはなく、
その病で40歳で逝(ゆ)かれたのです。
先生は自殺を思ったこともあるということですが
緑がもよおせ何を思い何をしでかすかもわからないこの身が、
気づけばすでにわが思いを超えて生かされている
まぎれもない事実に出遇(あ)われたのです。
そこに自分の損得や善し悪しを思いはからって悩む必要のない
、いのちの成り行く事実に全存在を乗托(まか)されたのであります。
「如来の教えに遇う者は現在安住の思念に住して、
どんな困ったことにあっても必ず活路が与えられる」
と先生は門弟に述懐されております。
先生は「天命に安(やすん)じて人事を尽くす」と言われ、
人事を尽くすこと自体が天与の恩恵であると、
現在に安住して生きる道を証(あかし)されたのであります。
不安の尽きぬ現代、先生の生き方が改めて憶(おも)われることです。