私の8月15日

五十年前の八月十五日、私は旧制中学の一年生、十三歳でした。


いたたまれぬような思いで、親友と二人川へ行きましたが、


いつもの水泳ぎする人影も見えず、ただ淋(さび)しい思いにかられて水泳もせず、


これから日本や自分たちかどうなるのかということを子供心にも心配しましたが、


とても口に出せるような心境ではありませんでした。


それで、とりとめもないことを話して時を過ごしたことが深く印象に残っています。


事件としての戦争は、確かにその日で終わったのですが、


戦後の復興が進むのと同時に、.自分の心の中から戦争は


だんだん消えて風化していきました。


戦争と自分のかかわりという問題が意識されだしましたのは


靖国神社国家獲持の法案か出てきたころからです。


特に最近、フランクル教授の「人間にどのような能力があり


またどのような誤りの虜(とりこ)になるかということを

実証した時代が二十世紀である」


という言葉に出会って考えさせられてきました。


ここには、限りなく光を求めてきた人間の営みそのものが


誤りの虜になって闇(やみ)の中に流されてきたという事実があります。


 こういう言葉に出会って、自分にとって

戦争は何であったかという問いを起こしてみますと、


これまで戦争を外にしか見てこなかったことが知らされます。


戦争を外に見るかぎり合理化や正当化の問題が常に出てきます。


「人間か何故(なぜ)誤りの虜になるのか」ということに思いをいたしてみますと、


そこに戦争をひき起こす誤りのもとが

自らの心に深く内在していることが明らかになってきます。


 親鸞は自らが生きる世の現実を、「五濁増(じょくぞう)のしるしには


 この世の道俗ことごとく外儀(げぎ)は仏教のすがたにて 


内心外道を帰敬せり」と悲歎されています。


どこまでも自分の主張や価値観に固執して


対立抗争のつきないこの五濁の世界が現出してくるのは、


その「しるし」・証拠として、この世の道俗(ひとびと)がみな


「内心外道を帰敬」しているからであると、その因(もと)を明確にされています。
 

外道とは、瑞的にいえば経済優先や科学万能、快楽中心主義などにとらわれ、


そういうものだけが人間を幸せにすると固執して生きる生き方です。


その根にあるものは我(わ)が身の本当の姿を見失い、


どこまでも自我を拡大しようとする生き方にほかなりません。
 

戦後五十年を経て、戦争だけではなく、今日言われる平和の中にあって


いつでも「誤りの虜」となりうる危機の存在としての


私どもの在り方そのものが問われていることを痛感することです。


能邨英士
産経新聞−語る−欄<1995(H7)年8月1日掲載>