友好

 

教育者の東井義雄先生(1912-1991年)が紹介された

中学生の「元服」という作文が私の心にとまっております。

 A君は都内でも有名高校を目指して

受験勉強に余念がありませんでした。

級友のB君と一緒の受験ですが、

成績は常にB君より上位で担任の先生から

「君たちなら大丈夫」と励まされていました。

 ところが、その入試でB君が合格してA君は落ちてしまいました。

A君は得意の絶頂から奈落の底へ落ちてしまって、

二階の自室に閉じこもり布団の上に横たわっていたとき、

お母さんが入ってきて「Bさんが来てくださったよ」と言いました。

A君はすぐ「僕が今、世界中で一番見たくない顔が誰の顔か、

お母さんは言わなくたってわかっているだろう。

すぐ帰ってもらっておくれ」と言いましたが、

「せっかく、来てくださったのに帰ってくださいなどと、

お母さんにはとても言えませんよ」と言って出て行きました。

二階へ上がってくるB君の足音がして戸が開き、

いつものくたびれた学生服を着たB君が現れました。

B君は「僕だけが合格してごめんね」と涙ぐんで言って、

両手で顔をおおい帰っていきました。


 そこでA君は、はじめて自分のことを思ったのです。

もし僕が合格してB君が不合格だったら、

わざわざB君のところに泣いてなぐさめに行っただろうか。

そんなことするはずがない。

僕のほうがB君より勉強ができるのだから当然だと思って、

ますます傲慢(ごうまん)になってしまっただろう。

そう思うと、大体、僕とB君とでは人間の出来が違う。

僕が落ちてB君が合格するのが当然の結果だったんだ、

と気づいたのです。 すると、これは天が与えてくれた

試練であったと思えるようになったのです。

昔の人は十五歳で元服したという。

僕もこの入試に落ちたおかげで元服できた気がする、

というような内容の作文でしたが深く感銘を受けました。

 もし、B君がA君のところに謝りに行かなかったなら、

友達の関係は終わっていたかもしれません。

友好を成り立たせるものは、

自分のことは後にして他のことを先にする、

そのような心であるとあらためて教えられた感がいたしました。

このような他をおもう純粋な心こそ

如来と等しい心だといっても過言ではないのでしょう。


 戦後五十年、経済大国日本といわれるようになりましたが、

果たしてどれだけ諸外国のことを思っているのでしょうか。

とりわけ近隣のアジア諸国に対して、

この両君のような友好の心に学びたいものです。


能邨英士
産経新聞−語る−欄<1995(H7)年8月15日掲載>