いやし
人間は、今日あって明日のわからない生身の存在です。

身も心も病むということは皆承知のことですが、

いざ自分が病んだり傷ついたりしますと一刻の猶予もできないほど、

苦痛が癒(いや)され悩みから解放されるこたを求めます。

耐えがたい体の病が薬や治療によって癒され、

誰にも言えない心の悩みが人のや優しさや、

美しい自然や音楽などにふれて慰められ人心地つくのも事実ですが、

それらは究極的な癒しとはいえません


 それにしても、何故人は藁(わら)をもつかむほどに

癒しを求めずにおれないのか、

そういう我が身とは一体何なのか、考えぎせられます。


釈尊の時代、王舎城において、父王・頻婆沙羅(びんばしゃら)を

殺害して悩んだ阿闍世(あじゃせ)のことが憶(おも)いだされます。

悪友のそそのかしによって父を殺して王位を奪い目的を達したものの、

罪もない王を無道に殺害したことが悔やまれ、

身心を嘖(さいな)んで体中に瘡(かさ)ができ、

悪臭を放って人が近づけないほどになりました。

阿闍世は、地獄の果報が身に迫ってくるのを感じて恐れおののきます。

母・韋提希(いだいけ)の看護も甲斐なく、六人の大臣の相次ぐ慰問も、

責任転嫁の論をのべて悩まないようにすすめるばかりで、

憔悴(しょうすい)した阿闍世の心にはひびきません。

そして、ついに大医・耆婆(ぎば)の誘いにより釈尊をたずねます。

その時、釈尊の「阿闍世王の為に涅槃(ねはん)に入らず」という、

苦悩をともに悲しんでくださる言葉に阿闍世は心打たれました。

月の光が一切のものをやさしく照らして包むように

仏陀の深い悲しみが阿闍世に浸み透(とお)り、

はじめて自我中心の思いに閉ざされていた心が開かれます。

懴悔(さんげ)のほかない罪の身がそのまま、

はかり知れないいのちに生かされていたと知ったのです。

このことに目覚めた阿闍世は、

「この真実に生きて人びとの迷いが破られるためならば、

私は常に無間地獄にあって苦悩を受けても苦とはしない」と

仏陀に申し上げるのです。

私は、この仏弟子阿闍世の誕生に感銘を覚えます。

「念仏は肩の荷を下ろして楽になるのではない。

背負い切れないものを背負って立つ勇気と励ましを与えてくれるである」

と安田理深師(1900-1982)は述懐されていますが、

癒しを求めるということも、

ただ自分が楽になるということだけのためならば

所詮(しょせん)は満たされることのない

欲望追求に終わるのでありましょう。

そうではなくて、苦痛や苦悩を生きることの意味が見いだされるとき、

「念仏者は無碍(むげ)の一道なり」(親鸞)と申されるような、

苦痛や苦悩を背負って生きる確かな人生が開かれるのであります。


能邨英士
産経新聞−語る−欄<1995(H7)年10月17日掲載>