桜
私の誕生日は、昭和7年の4月16日ですが、

子供の頃から、母親がよく手作りのご馳走をして誕生日を祝ってくれました。

母がいつも言っていたのが、「お前が生まれた時は、

部屋のすぐ近くに桜の古木があり、ちょうど満開であった。

障子をあげると部屋の中まで花吹雪が舞い込んできてとても美しかったよ」と。

北陸では、その頃がソメイヨシノの満開の時期なのです。

しかし、私が生まれた年の秋に大火があって、

本堂も庫裏も、その桜の老木も焼け尽くされてしまいました。

子供の頃、母が「この辺にその桜の古木があったんだよ」と

教えてくれたことが、懐かしく想い出されるばかりです。


さて、もうひとつ、桜について忘れられないのは、

私を大変可愛がって大事にしてくれた妻の父のことです。

義父は平成元年1月26日に76歳で亡くなりました。

肺気腫(きしゅ)という病気で数年にわたる闘病生活でありましたが、

亡くなる前の年に、どうしても桜が見たいと言い出して、

随分衰弱した体を押して近くの高岡市(富山県)にある

古城公園へ花見に行ったのであります。

その数日後、義父を見舞った時、念願の花見ができて嬉しかったことを義父は

まるで子供のように喜んで語ってくれました。

私もこれまで、義父のように心から花を賞(め)でた言葉を、

後にも先にも聞いたことがありません。

健康な人では、とてもわかり得ない

心の喜びの世界に触れたようで深い感動を覚えたことであります。

最後に「これで今生の見納めだ」と言われた言葉が、印象的でした。

そして、その言葉通り翌年1月、静かにお浄土に還っていかれました。

「散る桜 残る桜も散る桜」という有名な句がありますが、

私もだんだん亡くなった義父の年齢に近付きつつあります。

近頃は、長寿国世界一を持てはやしますが、

一人ひとりの人生は決して長くはありません。まことに無常迅速であります。

だからこそ、欲望に流されて自己を見失うことなく、

一日一日を本当に大切にしなければならぬと思うこの頃であります。


能邨英士
産経新聞−語る−欄<1997(H9)年4月4日掲載>