思い出の地
去る十四日、母が九十五歳で往生の素懐を遂げたのですが、

母は晩年、「生まれ故郷(九州の田主丸)へ帰りたい」と、

口癖のように言い出してはまわりの者を困らせました。

人間にとって、生まれ育った故郷にまさる思い出の地はないのでありましょう。


蓮如上人は、真宗再興に生涯を捧げられ、

東奔西走の波乱に満ちた人生をおくられましたが、

その晩年に、楽しいことや苦しいこと、

悲しみや喜びにたくさん出会ってきたけれども

「いまにそれとおもいだすこととては、ひとつもなし」と

「御文(おふみ)」にしたためられています。


各地で出会われた思い出をあげればきりがないのでしょうが、

「ひとつもなし」と言い切られて、この人生に願うべきことは「生死出離の一道」

すなわち、帰るべきいのちの故郷(ふるさと)がわかることのほかに何もない、

と述べられた言葉が強くひびきます。


また、こんなことも忘れられません。

シベリアの抑留生活から生還された人たちが久方振りに戦友会を持ったところ、

懐しさより当時の地獄の様がよみがえって、

二度と会おうという者がいなかったと聞いたことです。


母からも、抑留生活体験者の方からも、

ともに人間の姿として身につまされるものを感じます。

でも、どれほど過去を懐しがってもそれだけでは生きる力にはなりません。

また、過去の嫌な体験を拒み、避けている限り、そこからは一歩も進みません。

むしろ、内に深く自己を見つめてみると、新たに見えてくる世界があります。


金子大栄先生は「人生は、やり直すことができない。

しかし、見直すことはできる」と述べられています。

この見直す目とは人間の物差しではなく、

仏の真実を見徹す眼に触れて開かれた信心の眼をいうのでありましょう。

蓮如上人は「信がなくばいたずらごとよ」とさとされていますが、

信が開かれるときはじめて真の依り処を見い出し、

あらゆることが無駄でなかったと、

人生そのものを受けとめる道が開かれるのであります。


能邨英士
産経新聞−語る−欄<1997(H9)年5月27日掲載>