ペット

東北地方の山間に居住する古い伝統を持った

狩人の群れ、すなわち「またぎ」と

その猟犬との生活を描いたある小説の中でのことです。

山深い、厳しい自然の中で、犬を伴って、熊を求め、

命がけの猟に明け暮れる孤独な戦いの生活ですが、

長年連れ添った犬が年老いたり病気になったりして、

最期の、命終わろうとするとき、

またぎは犬の首輪を外してやるのです。

「もう自由になって、思うようにしておくれ。

長い間、縛ってきて悪かった」と、切なる思いを込めて

解き放つ、その場面がいつまでたっても

私には焼き付いているのです。


またぎにとって、その犬はいわゆるペットではありません。

文字通り、危険や苦難に遭いながら生死を共にしてきた同志です。

人間と動物という枠を超えていのちが感応し合う、

かけがえのない存在なのです。


そして、考えさせられましたのは、

生きるために殺生せざるを得ない

またぎ自身が、そのような生業(なりわい)の中で、

いわば、いのちを撃つものがいのちの重さや

尊さを身に染みて感じているということです。

自らは手を下さずに、欲しいものを労せず得ている者は、

自分の前に運ばれてきたのは単に物であって、

いのちの悲鳴や痛みがなかなか理解できないということなのでしょう。

今は、ペットが異常なまでにかわいがられ、死んだときには

人間並みにお経をあげたり立派な墓まで造るということですが、

死んでからまで自分だけの占有物に

しているのではないかという懸念を拭いきれません。

むしろ、いのちあるものの生涯を自分のペットにし、

孤独やさびしさなどを癒すための道具にしてきて申し訳ないと

いう懴悔(さんげ)のところに、所有物ではない、

いのちの尊さに出会うのではないでしょうか。

そのような心にこそ、孤独を超え、好き嫌いを離れ、

すべてのいのちといのちが響きあう世界が恵まれることと思います。



能邨英士
産経新聞−語る−欄<1997(H9)年6月30日掲載>