私のような戦中派は、小学校に入学したその年
(昭和十四年)にだけ 夏休みがありました。 翌年からは、確か、「夏季鍛錬期間」というような名称になり、 午前中はほとんど毎日が登校日であり、 身体を鍛えることや勤労奉仕に汗を流した想い出があります。 それでも午後は学校から解放されて自由にねるのですから、 その日が来るのを待ち焦がれたものです。 そのころの男の子といえば、水泳や野球、虫とり、木登りなど、 くる日もくる日も遊びほうけたものです。
という句がありますが、 陰でそっと案ずる母親のやさしい心が偲(しの)ばれます。
日本の教育事情は、塾と教育ママと また遊びの面でも家に閉じこもって 一人でテレビゲームに 良い成積を、良い大学・会社・給与 ・伴りょ・地位・幸せ・・・と結び付けてしまう。 結局は偏差値にがんじがらめになっている世相が、 これで良いのかと問い直されてなりません。 人が人として生きていくのに必要なことは、高学歴でもなければ 、大会社のエリートになることでもありません。 それは、働く能力と人と協調する能力だと思います。 この二つの能力がバランスよく備わってこそ、 遊びというのは、親や先生から一言われて、 いやいやするものではないだけに、 常に自発的な行動とたります。 実はそのような自発的な行動の中から この二つの能力が培われていくのでありましょう。 幼年期から少年期にかけて、 |
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能邨英士 産経新聞−語る−欄<1997(H9)年8月5日掲載> |